新宿ディスコアキレス腱事件→「1982/06/07 赤いスポーツカー事件(新宿ディスコ殺人事件)」のことで、82年6月7日白昼、千葉市横戸町の花見川沿いのサイクリングロードで、東京都港区立高松中学3年・遠藤和美(14)の殺害死体と、顔面を血だらけにしてうずくまっている茨城県古河市立中学3年・後藤京子(14)が発見、保護された。
この事件がきっかけで、ディスコの深夜営業が規制されるようになった。いわゆる『新宿ディスコ殺人事件』である。
関連リンク→尾崎豊の「ダンスホール」…この曲は、当時あった事件(少女殺害)への悲しみや、世の中・自分への心情を唄ったというような話を聞いたのですが、その辺りの詳細を教えて下さい!
(歌舞伎町ディスコ女子中学生殺人事件)
女子中生連れ去り殺人でディスコ規制→女子中生連れ去り殺人でディスコ規制→昭和57年6月6日午前11時50分、千葉市横戸町1255の花見川にかかる弁天橋近くの花見川サイクリングロード脇の草むらで少女が首から血を流してうつ伏せに倒れ、もう1人の少女が顔を血だらけにして泣いているのを自転車で通りかかった会社員が見つけた。うつ伏せの少女は死んでおり、喫茶店ウェイトレス(38)の長女で港区立高松中3年の落合雅美(14)で、泣いていた少女は茨城県古河市の中3(14)だった。2人は小学校から中学2年まで古河で同級生で、昨12月から落合だけ港区に引っ越しており、落合は春休みにも家出をしていた。5月29日から落合は中学に行かなくなり、5月30日に古河の中3少女の家に現れて2人して家出していた。落合の死因は右側頚部などを刺された事による失血死でアキレス腱も刺されていた。中3少女も洗車用のホースで首を絞められて顔を殴打されていた。
関連リンク→弁天橋