皆で食べたその美味しいチョコレートボンボンは外国製のものだった。
甘くてウィスキーのアルコールもほどよくチョコレートが溶けると旨味が口の中全体に染み渡る感じでグーだった。
実はこの経営者は偉く人がよい感じで如才ない感じだったが、実は、幸子の手練手管に引っかかり、見事、騙され、チョコレートボンボンを買わされたり、その他にも言葉巧みに洋服やバック、化粧品やアクセサリー、そしてもちろん小説家を目指す幸子のために本や図書券をしょっちゅうプレゼントさせられていたのだった。
しかし、現時点で何も聞かされていない涼がその事を知る由もなかったのだ。
無論、自分が経営する都内の某お見合いパブの地下室でバドワイザーをありったけ驕り、プロポーズまでしたのだから、この経営者の心中はおそらく幸子のことで胸がいっぱいだったのではなかろうか?
パブの地下室で寄り添いチークダンスを踊った時の互いの肌の温もりもまだ冷めやらなかったのに違いない。
「そろそろ、出ませんか?」
そう言ったのは涼だった。
「そうだね、もう明け方だね、僕は合わせるよ」
と気のいい経営者である紳士はそう答えた。
「それじゃ、でましょ、でましょ!」
と幸子が指揮を取る様に少し騒いだのだった。
涼は男としての面子にかけてもここは自分がお勘定をとさっきから思っていたのだった。
なので一人先に急いでレジに向かったのだ。
「ここは、私が払うよ」
予想していた通り、経営者が経済力に物を言わせてそう言って来たが、涼は
「いいえ、ここは僕に払わせて下さい!お願いします」
と真剣な表情でいうので
「なら、こうしよう半分づつでどうだい」
と話が一向に終わりそうもなくなってきたので、涼も仕方なく
「わかりました、そこまでいうならそれでお願いします」
と折れたのだった。
「もちろんだよ、約束は守るさ」
経営者であるその紳士はニコッと微笑んだ。
そこへ消えていたおなべホストがまたヒョッコリと現れた。
「お紅茶でもお持ちしますか」
「あら、気が利くわね、お願いします」
と幸子が言えば、
「僕はコーヒーがいいな、夜更けのコーヒーは乙なもんだよ」
と経営者も話しに入ってきた。
その時、この紳士はとても気のいい社交的な人物だと涼は感じたのだった。
「涼さんはどうしますか?」
とおなべホストが聞くと、
「僕はホットミルクでいいです」
と涼が少し遠慮がちに答えた。
いつのまにかチョコレートボンボンの包みが開けられていた。
「今、少し食べてもいいね」
了解をとるように紳士が問いかけると、
「ええ、もちろんですわ」
と幸子が微笑んだ。
ホッと寛いだ雰囲気が店全体に漂った。
チョコレートボンボンをおいしそうに頬張る幸子はとても満足げだった。
この状態を憩いのひと時と表現してもいいのではないか。
涼は真剣にそう思った。
ヒヤヒヤしたことも確かにあったが、皆でチョコレートボンボンを頂き、お茶をする時間はとても充実しているように感じられた。
こんなにいい雰囲気なら、このままずっと時間が止まればいいとさえ思ったのだった。
紳士の姿を発見し、幸子が嬌声とも言えない、素っ頓狂な声を上げると、入り口に現れた紳士はツカツカとまっすぐに幸子の方に歩きだしたのだった。
そして幸子のいる店の中央のテーブルの前まで来るとピタリとその歩みを止めた。
途端にテーブルを中心にその周りから異様な緊張感のようなものが辺り一面に漂った。
この状態を何かに例えるとしたら、もしかしたら世に言う鉢合わせというやつだろうか?
幸子は何も気にしない様子で、
「あら、お待ちしてましたわ」
といたって何事もないという様子で立ち振る舞っていた。
涼の性格をこの時点で既に見透かしていたのだろうか?
このように振舞ったとしても、彼は別に動揺したり、荒れる心配はまずないと。
おなべホストはいつのまにかその場からいなくなっていた。
気を使っているのか?だとしても、何も消えることはなかろうに。
刃傷沙汰になるとでも思ったのだろうか?
涼は、その紳士が、都内の某お見合いパブの経営者だということは知らなかったが、どうみてもその紳士がただ者ではないのはその雰囲気や身のこなしですぐ気づいたので、紳士が店に現れた時点で、一線を画すように身構えていた。
それはまるで防衛本能を振るうかのごとくの仕草であり、ポーズだった。
また、勝ち目がないと感じたのも否めなかったが。
「待たせたね、おや、隣にいるのは弟さんかな?」
弟?、涼は唖然とした、自分は幸子の弟にみえるのだろうか?
そりゃあ、幸子より童顔なのは確かだが、ちょっとガックリした気分になった。
「いえ、お友達です」
兄弟といわれるよりはましか、お友達と言われた方が、そんなことを考えながら涼はやっとその場の状況に溶け込めそうな気分になった。
そのあと紳士は手に抱えていた、割と大きめな包みをテーブルの上に置いた。
その包みは、綺麗な赤いリボンがきちんとかけてあった、幸子の大好物のチョコレートボンボンが入った包みだった。
「わぁ~~!嬉しい!!ちゃんと持ってきてくれたんですね」
涼がオールドパーの水割りを飲んでいる間も、また、おなべホストと語り合っている時ですらも幸子は、酒を浴びるように呷るのを決して止めようとはしなかった。
状況の変化には一切お構いなしで、時間が経つほどに幸子の飲みは加速をつけていったのだ。
やはりというか、誰もそれを止めることはできなかった。
涼の方は、せっかく水割りを奢ってもらったことだし、意地を張ってもいけないなと思い、少し積極的に話題に参加するようになっていた。
涼は既に幸子がいくら飲んでも本当には酔わない体質だと心得ていたので、今回は、その事に対しては敢えて特には意見しなかった。
だんだんと飲みが進みほろ酔い気分に出来上がっていく幸子の有様をみるにつけ涼の方はそれに反比例するかの如く次第に興醒めしていくのをどうする事もできなかった。
しかし、幸子の場合酔ったと言っても別に顔色が変わるわけでもなんでもなく色白のままで常に素面であったので、特に表立っては大きな変化は見られなかったが。
ただ、時間を追うごとに次のオーダーを取るまでの時間の距離が狭まって行くのが手に取るように感じ取られたのだ。
気づけば、幸子が、
「おビールもう一本お願いします!」
といったり、
「梅酒ください!」
とおなべホストに甘えるような声で媚びていたのだった。
今日は幸子と会う前に銀行から10万降ろしてきたから少々羽目を外しても絶対に大丈夫、そう涼は思っていたのだ。
そんなことが頭を過ぎっていた時だった。
「あら、もうこんな時間、そろそろくるわ」
と幸子が、突然、誰か待ち人が来るというような発言をしたのだった。
確かに、少し前に“お迎えが来ます”とは聞いてはいたが、もうそろそろ時刻は、午前3:00になろうとしていた。
誰が来るのだろうと、涼が少しソワソワしだした時だった。
店の入り口が、ギィー、ギィーッと軋む音を立てながら開いたのだった。
入り口の扉が開いた、そこに現れたのは、背の高い紳士だった。
そう、その姿は紛れもなく、前に幸子がお見合いパブの地下室でバドワイザーをご馳走になり、そのあとチークダンスをしたあの経営者だった。
「こんにちはぁ~~!!」
それからの状態はこうだった。
あのフッくんに似たおなべホストと幸子はしきりに楽しげにずっと話し込んでいた。
時には見詰め合ったり、小首を傾げて、頷きあったり、時にはBOXのソファに仰け反ったりしながら語り合い、大変いいムードであった。
客を楽しませるのはホストの仕事であるからそれは当然であろう。
しかし、肝心なことを履き違えていないだろうか?
ここの払いはどう考えても、涼だった。
幸子が払うということは絶対あり得ないのだ。
なのでもう少し自分のほうにも気を使うべきではないのか?
などと、涼は真剣に考えるようになってきた。
出来れば、おなべホストに対してそのことで抗議をしたいくらいであったが、せっかくの
楽しい雰囲気をぶち壊しにして幸子に嫌われてしまうのも怖かったのだ。
なので、結局、喉まで声がでかかったが、それは取りやめになったのだ。
しばらく声を失っていた、涼は一人無声音の自分だけの世界にまた入っていったのだ。
少し時間が経ってから、
「楽しそうっすねぇ」
やっと出た言葉が第一声それであった。
ああ、とやっと気づいたと言いたげに、おなべホストがニコニコと涼のほうに向き直った。
涼を無視して幸子と楽しそうにしたのを悪いと思ったのか、
「僕が奢るんで、好きなの何か飲んで下さいよ」
とおなべホストの方から申し出てきたのだ。
「それじゃオールド・パーを水割りで」
「はい、かしこまりました」
非常に丁寧な言葉遣いだった。
だが、だからといって少し不快になった気分がすぐ元に戻るわけもなかったが。
しかし、水割りを飲むうちに次第にまた我を忘れるようになり、すっかりほろ酔い気分になったのもまた否めなかった。
夜の魔物が心を蝕んでいく瞬間の一コマであった。