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平成19年11月2日作成
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珍妃の事件についてさらに色々なサイトを検討し抜粋てみる。

宣和堂遺事|珍妃受難→井戸の画像がアップでみれます。

宣和堂遺事|珍妃の埋葬

浅田「珍妃の井戸」→珍妃の画像がみれます。

Ciel Bieu : 「珍妃の井戸」→ここでは、珍妃を殺したのは西太后じゃないことになっています。

珍妃の井戸→歴史の通説では、珍妃は西太后の命によって井戸に投げ込まれたといわれているが、浅田次郎は、この通説に真っ向から異論を唱え、興味深い歴史ミステリーに仕上げた。

紫禁城のロマンス→故宮の東北の角に「珍妃の井戸」と呼ばれ ている古井戸がある。光緒帝の愛妃珍妃が突 き落とされて殺された場所だ。珍妃は清末の 最も悲劇的な女性として名を知られている。 中国を近代化しようとした「戊戌の変法」実 施者光緒帝の妃であったこと、西太后の命で 殺されたことが一躍彼女を悲劇のヒロインと して盛り立てている。

珍妃の井戸 浅田次郎著 講談社

事件のあらましはこうです。義和団事件のとき、列強の8カ国連合軍が義和団や清の正規軍をさんざん打ち負かせて北京になだれ込んできました。西太后は幽閉していた光緒帝やまわりの人を連れて蒙塵<(もうじん)>しようとする混乱のさなか、一人の美しい妃が紫禁城内で命を落としたのです。それも、小さく深い井戸の底に、頭から投げ込まれたのです。光緒帝には皇后と、側室として珍妃の姉瑾妃<(きんぴ)>がいましたが、彼の愛を一身に受けていたのは珍妃でした。彼女は美しいだけでなく、たいへん頭の良い人でした。光緒帝はこれまでの王朝のやり方でなく、一般の夫婦のように珍妃を愛していたのです。戊戌の変の時も光緒帝の相談相手になっていたようでした。
 列強の中でも、立憲君主制をとっている英国・ドイツ・ロシア・日本から見れば、絶対君主制をとる国の宮殿の中で一人の妃がなにものかに殺されるというのは、その国家の仕組みにかかわる大事件でした。ソールスベリー提督を中心にした4人による事件の真相究明が始まります。

 4人は、事件のことを知っていそうな人に証言を求めます。しかし、証人のいうことは、ことごとく異なっており、証言を聞くたびに別の証人の言を聞かなければならない状態でした。読んでいくうちに、この作品は推理小説だと思えてきます。読み進むと、謎は深まるばかりです。

・ニューヨーク・タイムス駐在員 トーマス・E・バートン
 ・元養心殿出仕御前太監 蘭琴<(ランチン)>
 ・直隸総督兼北洋通商大臣兼北洋常備軍総司令官 袁世凱<(ユアンシイカイ)>将軍
 ・光緒帝側室 瑾妃<(きんぴ)>
 ・永和宮首領太監 
劉蓮焦<(リウリエンチャオ)>
 ・廃太子 愛新覚羅<(アイシンギョロ)>溥儁<(プーシー)>
 ・そして、最後の証人は
天子<(サン・オブ・ヘブン)>でした。

最後まで読むと、浅田さんはこの作品でも中国の哀しみを書きたかったことがわかります。
 前作『蒼穹の昴』でもそうでしたが、本書はそれに磨きがかかっています。
 途中までは謎解きの世界に引きずり込まれてしまいましたが、最後の載恬<(ツアイテン)>(光緒帝)に送る、珍妃の最後のことばが心にしみこみます。

 あなたは天子だからね。
 あなたは世界の天と地とを支える、天子だからね。
 人間どうしが愛し合うことなど、当たり前だと考えている、耶蘇も聖書もいらない、この国の天子だからね。
 自分の富のために、他人のものを奪おうとする人間などひとりもいない、仁の<(おし)>えに満ちた、世界で一番豊かなこの国の、あなたは天子だからね。
 どうか、わかって下さい。
 さようならの言葉は、韃靼<(だったん)>語では何というのでしょうか。
 ほんとうはそれを言いたいのだけれど‥‥きっと、
大興安嶺<(だいこうあんれい)>黒龍江<(こくりゅうこう)>や、ホロンバイルの草原に美しくこだまする、風のような音にちがいありません。
 ではみなさん、
再見<(ツアイチェン)>‥‥
 ごめんなさい、それしか知らないから。
 再見。
 私の愛しい人。
 そして、私の愛しい人たち‥‥‥

参考文献リンク

本当に誰がいったい珍妃を殺したのか?永遠の謎ですよね。誰かわかったらコメントを是非下さい。

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西太后についてw

みなさんは、西太后についてご存知だろうか?

西太后(せいたいこう・せいたいごう、道光15年10月10日(1835年11月29日) - 光緒34年10月22日(1908年11月15日))は清の咸豊帝妃で、同治帝の母。清末期の権力者。満州 旗人(鑲藍旗人)の葉赫那拉(エホナラ)氏の出身。慈禧太后(じきたいこう)。老仏爺。Wkipedia 

彼女は1835年10月10日に北京で生まれたことになっている。父は、恵徴(けいちょう)と言い、満州人の中堅官僚だった。恵徴の仕事は、公文書を作成したりする書記官だった。西太后の幼名は蘭児と言い、14才年上の兄が一人いた。その後、妹と弟が生まれた。妹は後の*光諸帝の生母として知られることになる。西太后は、当時の女性としては、珍しく、公文書の読み書きが出来たが、このような家庭環境によるものであろう。

1875年、同治帝が死ぬと、光諸帝(こうしょてい)がその後を継いだ。光諸帝は、西太后の妹の皇子である。光諸帝は、5才で即位し、前回の同治帝の時と同様、二人の皇后が補佐する形で政務を代行する形が取られた。西太后は伯母にあたるわけだが、どうもこの二人相性がよくなかった。最初のうちはよかっが、光諸帝が、17才になり、西太后が政権を彼に委ねると、二人の関係は好ましからざるものとなっていったのである。また、この間に東太后が45才で急死するという事件が起きたが、記録を見る限り、東太后は脳梗塞で死んだようである。西太后が、毒入りの餅を東太后に献上し毒殺したという説は後世の捏造によるもの以外の何物でもない。

やがて、外交官を救出するために、列強など8か国からなる連合軍は、本格的に組織を編成して北京に向けて進撃を開始した。中でも、2万2千名の軍隊を派遣した日本は、連合軍の主力となって先頭をきって行軍した。義和団と清軍は、果敢に戦ったが、近代装備を持つ外国軍に歯が立たず、進撃を阻むことは出来なかった。いずれ、彼らが北京に入城してくれば、光諸帝を復活させ、暴徒に組した西太后を捕らえて戦犯として裁くことは明らかであった。

そこで、西太后は、北京を脱出して逃亡することを決意した。逃亡先は、1400キロ離れた山西省の西安である。彼女は、66才になっていたが、粗末な衣服を着て髪型を変えて農民に変装した。その際、人質として光諸帝も連れて行くこととした。同時に、後顧の憂いを消しておくことを忘れなかった。光諸帝の寵愛を一身に受けた*珍妃(ちんぴ)を井戸に投げ込ませたのである。

珍妃は、美しく聡明な王妃(珍妃(1876~1900)光諸帝の側室だったが、帝の寵愛を独占した。 )  で、常に光諸帝の変法推進策を陰ながら支え、励ましたことでも知られていた。25才の彼女は、茶目っ気もあって、しばしば宦官の制服を着ては光諸帝の心をなごませていた。

こうした珍妃を西太后は、心の底で疎ましく思っていたに違いない。しかも、今後の展開によっては、この珍妃が自分の後釜になってしまうと考えたのであろう。

幽閉先から2年ぶりに引き出された珍妃に西太后は言った。     
「私と皇帝はこれより北京を離れる。道中には敵味方が数知れず満ちている。そなたは連れてはいけぬ。万が一、皇室の体面を汚すことがあってはならない。そなたはここで自尽するのだ」 

 これを聞いた珍妃は、青ざめて西太后に言った。「皇帝は北京から離れてはなりません。逃亡することは、満州族の祖先を汚すことになります」 
 これを聞いた西太后は、ますます、激怒してこう言い放った。「黙れ! 死にゆく者が何を申すか!」そして、冷笑しながら、こう続けた。「そなたは、ここで死ねばいいのじゃ!」 
 珍妃は、西太后の前にひざまずき涙ながらに命ごいをした。「皇后様、皇后様、私めをお許し下さい。決して、過ちはいたしませぬ」  
 しかし、西太后は、これを断固許さなかった。光諸帝を始め、その場にいた人々も目に涙をためて呆然と佇むばかりであった。時が虚しく過ぎていくばかりで、一向に動かぬ彼らを西太后は、早くやれとばかり睨みつけた。やがて、宦官のリーダーでもあった催玉貴(さいぎょくき)は、決意したかのように珍妃の元に歩み寄っていった。彼は、ひざまずいている彼女を抱きかかえると、足取り重く、ゆっくりと井戸に向かって歩き出した。

それは、口が非常に小さく深い不気味な枯れ井戸だった。珍妃は、その井戸に頭から投げ込まれたという。彼女は投げ込まれる直前、宦官の李蓮英(りれんえい)の名をしきりに叫んで助けを求めたとも言われている。

これ以後、西太后は、珍妃の叫び声が耳について離れず、彼女の亡霊に悩まされることになったと言われている。

夜な夜な枕元に佇む珍妃の亡霊に恐れをなした西太后は、翌年、北京に戻るとすぐに彼女の遺骸を清王朝陸墓に丁重に改葬し直したということである。

珍妃が投げ込まれた紫禁城内にある井戸、その口は狭く深くて無気味で、到底、人間一人も入らないほどだ。珍妃は、頭からグイグイと押し込まれて殺された。彼女の遺体は、その後、北京に入城した日本軍兵士によって引き上げられ埋葬された。

○列強諸国は、西太后のことをドラゴンンレディーと呼び、彼女の力を認めざるを得なかったのである。

*光緒帝→(こうしょてい、こうちょてい、同治10年6月28日(1871年8月14日) - 光緒34年10月21日(1901年11月13日)1908年、死去する。西太后に砒素で毒殺されたともいわれる。死因に関しては、1980年の光緒帝の陵墓発掘の際の遺体調査では、頸椎・毛髪いずれにも中毒の痕跡を見出せず外傷も存在しなかったこと、光緒帝に関するカルテ及び薬品の処方といった史料が現在も故宮に残されており、これをまとめた書籍が出版されていることなどから、病死の可能性が濃厚と一旦は結論付けられたが、2007年になって中国政府の調査により、頭髪に集中して通常の1000~2000倍の砒素が検出されたと報道され、「これこそ一度に大量の砒素を投与された証拠だ」として、砒素による毒殺の可能性も依然として消えてはいない。

なお清西陵に陵墓がある。Wkipedia

*珍妃→珍妃(「ちんぴ」あるいは「ちんひ」、1876年2月27日 - 1900年8月15日)は清朝の皇帝光緒帝の妃の一人。満州族八旗の他他拉氏の出身。他他拉貴妃ともいう。姉は瑾妃。光緒帝に最も寵愛された妃であったが、義和団事件の最中西太后によって殺された。「恪順皇貴妃」と追贈され、光緒帝の崇陵の東の「崇東陵」に葬られた。Wkipedeia

参考文献URL

★もしかして、関連事項??1986年4月8日。人気アイドル・岡田有希子さん(18歳)が交際中の俳優とのことに悩み、所属するサンミュージックのビルの屋上から飛び降り自殺した。
 岡田さんはこの日のご前10時前、青山の自宅マンションでガス栓をひねり、手首を切って自殺を図ったが、発見が早く軽傷ですんだ。病院で手当てを受け、プロダクションに行ったが付き人が目を離したすきに屋上に向かっていた。自宅には失恋したという内容の遺書が残されていた。

2000年7月19日には岡田有希子当時のマネージャーで、サンミュージックプロダクション取締役製作部長の溝口伸郎氏(54歳)がサンミュージックのビルのトイレ内で首吊り自殺をしている。→2000年

自殺1986 


★「人彘(ひとぶた)」

「西太后~垂簾聴政~」

 主演女優は映画「芙蓉鎮」(87年。監督:謝晋(シエ・チン))で、しっかり者の豆腐屋の女房を演じていた劉暁慶(リウ・シアオチン)。
 この映画は西太后(当時はもちろん「西太后」ではないのだが)が宮廷入りし、巧みに帝に取り入り男子(後の同治帝)を出産するまで、そして、咸豊帝亡き後、恭親王奕訢と結んで、実権を重臣粛順らから奪還するまでを描く。

 ラストは、映画公開当時新聞広告などででかでかと取り上げられていた「人間壷漬け」のシーン。でかい壷から首だけ出してる、うらめしげな美女の顔を覚えておられないだろうか。
 咸豊帝の寵愛を一身に受けていた麗妃の手足を切断し、だるまみたいにして壷の中に入れ、暗い倉庫で飼い殺しにするというものだ。
 呂太后の「人彘(ひとぶた)」の話は、『史記』にも載っている(注)が、西太后のこんなことはどこかの野史演義に書かれているのだろうか。

 それと、ラストで普通は「劇終」と出るのだが、この映画は「再会」と出た。1本の映画の前半・後半ってことなのか?

(注)
 漢の高祖劉邦は、呂后との間の子(後の恵帝)に代え、寵妃戚夫人の子の如意を皇太子にしようとした。これを恨んでいた呂后は、劉邦の死後、如意を毒殺。戚夫人の両手両足を切り、目をくりぬき耳を焼き、口がきけなくなる薬を飲ませて厠室において人彘と名づけた。(『史記』:「呂后本紀」)

(資料)
監督:リー・ハンシャン
出演:西太后:劉暁慶(リウ・シアオチン)、咸豊帝:梁家輝(リャン・ジャンホー。後のレオン・カーフェイ)
製作年度:1984年。中国・香港。

参考文献リンク

★その他では、私の知っている話で、西太后は、お抱えの薬剤師持っていて、彼らにすぐれた薬を命令して作らしたが、果たしてその薬を飲んで、30分で効かないとその薬剤師を即刻死刑にしたというもの。なので、中国の薬は命がけで作った薬だから大変効くと言われている由来らしいです。
 


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