一六五九年、イタリアのとある町のバロック式の大劇場で「ベイビー・オブ・マコン」と題する芝居が開幕したとこからその映画は始まったのだ。
その映画の内容を、もっと詳しく話すと、ルネサンス時代の宗教劇に出てくる赤ちゃんを持つ母親がその赤ちゃんを金儲けで売り飛ばしてしまい殺してしまう。
そしてその罪のために、その母親もたくさんの市民軍の男たち(=芝居の観客たち)によって処女を奪われて死しんでしまうという本当に愕然とするような惨状なのだった。
また、最後の方の場面で赤ちゃんの屍を切り刻んで行く場面が出てきたりと、とてもじゃないが尋常な神経の持ち主だったら、そのあらすじを最初から知っていたら決して見てみたいとは思わないような内容だった。
その超オゾマシイ残酷映画に付き合わされた女性同士の伝言ダイヤルで知り合った女性は気味悪いやら、恐ろしいやらで、一気に気持ちがダウンしてしまって、結構大人しそうで上品なのにこの幸子という女はなんでこんな趣味の悪い映画を見たがったのだろうか?と真剣に思ったのだった。
映画の最中もその女性は、一言も口を利かずに、ただポツネンと幸子の隣の席でポカンとしていたり、アングリと口をあけて暫くそのままだったり、まさにその姿は阿呆面そのものであったのだ。
そんな状態のその女性のことを幸子は横目でチラッとみながら、“ふん、馬鹿な女・・・”と言いたげだった。
いや、実際に本当に、そう思っていたに違いない。
話は変わるが、私の昔の友人で、ものすごく太った夫婦の友達が二組いてその片方の友達が、子供がいたのだが、その夫婦で実に子供を苛める事、苛める事、さすがに、みていてその子供に同情せずにはいられなかった。
バトンの棒で子供が部屋を歩いている時、足を引っ掛けて転ばせて泣かせたりと、これが親がすることかと思うくらい残酷で卑劣な虐めだったのだ。
おまけに子供は常に部屋では押入れの中に閉じ込められていた。
ハッキリいってこれは幼児虐待といえるだろう。
その子供はすごく私に懐いていて遊びに行くと私のとこばかりに逃げるように来ていたが、その子供が5歳か6歳の頃、母親が年下の男と駆け落ちしてしまって面倒をみるものがいなくなり施設に入れられたのだった。
お腹に火傷あとがありおへそがなくて、(その家族といった健康ランドでみたのだ)とても不憫な子供であったが、今頃どうしていることだろうか?とても気になるところだ。(かといって会いに行ける訳でもないが)
他の友達は皆、あの子は将来、絶対不良になると賭けていた。
今、このことを思い出すのは、あんなオゾマシイ映画が好きなような女なのだから幸子は、とても子供を可愛がるというようには想像がつきにくいということを言いたかったのだ。
おそらく、たった今、話した夫婦の家庭とどこか似ているところもあるのではないかと懸念されるのだ。
その不憫な子供の母親に養育費が足りないと相談され銀行から15万円下ろして貸したこともあったが返済日になると居留守を使われ、結局、親の住所を聞いて知っていたので、相談したら利息を一万円つけて即金で返してもらえたのだ。
その時にその母親と年下の男と駆け落ちしたはずの本人も一緒にいたから驚いてしまったのも事実だった。