また、あいつ、Tはうちの父に似ているつもりらしいが、ずっと観察させてもらったが、まったくと言うほど似ていないと思う。
最も似ていないと思う面は、一人好きな相手を見つけても一向に貫こうとしないところだ。うちの父だったらあれほど会話に再三出して夢中だったらとっくに別居して一緒に暮らしているタイプだからだ。
マジ口先だけで実行力がない下らない奴。
そういうイメージしか私にはないのだ。
本当には何とも思ってないのにそう見えるように振舞うだけとか、そう見せたいだけっていう根性悪はいい加減辞めたらどうだ。と思うのだ。それがバーチャルの中だと言いたいのだったらなおさらチャンチャラ可笑しくて笑い転げてしまうのだ。
こんなマッチ箱さながらのゲーム感覚のオタク空間で真剣に愛や未来などについて語れる訳もないのだ。
こういう扱いしか出来ないのだから、そういう扱いをしてしまっていると思える相手には間違っても独占欲など持つべきではないと思うのだ。つまり、持つ権利がないと思うからだ。ちゃんと外で会える相手にだけ関心を持ったり独占欲を持つべきだ。
そういうおかしな支配や呪縛を相手に与えるから、おかしな戦争―つまり黒魔術戦争だろう―が始まってしまったのだと思う。
やはり、見えない物、怪しい物―それは、間違いなく魔術や超能力も含まれると思う―に完全に支配され身動きが取れなくなってくると対抗する為にそれらの感覚や能力が火事場の馬鹿力のように自然に沸き上がって来たり、家族関係に似ている魔術の故人霊がたまたま傍を浮遊して家族に似ている人物が呪いによって苦しんでいる姿を発見し、―この場合、Tに呼ばれて来た霊であっても実際に着てから呪われている人物の方が自分の家族間係や恩人に似ていると翻る場合も多々あると思う―迷路のような妄想パズルの世界でもがいているのを見つけて慌てて対抗魔術をかけたり、憑依して魔術を教えたりという正に摩訶不思議な人知を超えた驚くべき奇跡も起こっていると思うのだ。
このたまたま通りかかったり、Tの邪悪魔術の指令で訪れてきた霊は自分の家族や恩人に似ている人物を救おうとして動いたり働き出している。本当にそう思うのだ。
ちょっとしたことでもすぐ魔術を使うというのが良くないと思うのだ。
それは邪道だと思うのだ。
きちんと言葉で話したり文書で意見をいうべきだ。
言えない様な内容や願いをしょっちゅう企むのが、そもそも大きな間違いだと思うのだ。
特に「絶対に断ってはいけない!」そういう魔術が最も邪道だと私は思っている。
“断ってはいけない!”など有り得ないお話だ。
理由があるから断るのだ。
理由があったら諦めるしかないのだ。
断ってはいけない理由があるのだったら、その理由を脅しとか事件ではなくて言葉や文書で訴えるべきではないだろうか?出来ないことは全て事件や呪い依頼では根本的に何も解決しないと思うのだ。そういう意味で魔術で呼ばれる天使や悪魔も現在、非常に反発している状態だと思うのだ。なので、実際に呼ばれてきてから改宗している霊も増えてきていると感じるのだ。―例えば、ヴゥードゥー魔術で呼ばれて来た霊が聖母マリアの関係の霊と融合したりなどだ―
また、このようにいっぺんに大量の人が死ぬような大事な事態に陥っているのにはかなりの陰謀と王家の秘密が隠されているとも言えると思う。
それは、あの異常なTの女狂いの件に関係していることだと思う。
Tは、自分にまったく関心がない物、手に入りづらい物に以上に固執する性質の男だということは前にお話したが、その邪悪な習性の為にとうとう決して踏み込んでは行けない許されぬ関係に走ってしまった。
と、そう私は思うのだ。
「ええやん!この中だけなら実際に触れるわけやなし!減るもんじゃないでぇええ~~~!」と言わんばかりにあいつは、Tは、某人気バーチャルに来ると必ずリアルでは到底付き合えない相手―お得意様の奥さんや彼女、上司の奥さんや愛人などやそれにソックリなタイプだろう―に必死で纏わり憑いていた。
また、その件については前にも詳しく触れたが、Tは、その際、必ず罪もない誰かのせいにしてアリバイを借りていた。
さらに、詳しく説明するなら、事実上Tは、トップの婦人と情交があり、燕なのだという今まで見てきた状況から判断して当然の成り行きと結論であることを明かさねばならないだろう。―実は、俺の代役の教育や調教、勝手な真似をリアルでされないための監視というのは建前であって本当は、この許されぬ関係のためのアリバイ保持、ただそれだけの為の大量集団監禁だと言える、交際場所やネットでの二人の住居は主に海外バーチャルだろう―実際、リアルでもその関係を支持する多くの者がいて時折(トップが余所見をしている隙に)隠密デートを楽しんでいるのだと思う―
その関係は、あの有名な歴史少女漫画「ベルサイユのばら」のフェルゼンとマリーアントワネットを気取るにはあまりにも稚拙で頼りないものだろう。
そこまでの風格や気品、偉大さなど、到底あいつのレベルでは感じられないからだ。